コメンテーターが出てくる情報番組は随分前から見なくなりました。
情報を知るよりも、その人達の意見を聞いていることになるからです。
ネットのニュースはタイムリーに入って便利なので
ちょくちょく見てはいますが、
書いている記者の意見に振り回されないように注意しています。
そもそも情報には事実と発信者の意見・価値判断が混ざっているものです。
『ファクトフルネス』というベストセラーが数年前に出版されていました。
人は色々な思い込みで生きている(10の思い込み)という内容です。
人と人のコミュニケーションでは顕著です。
会社の会議、最初はある事・事実から始まりますが、
議論が進むにつれて、事実はどこかへ行き、参加者の価値判断だらけ
「良い/悪い」「好きだ/嫌いだ」などの価値論争が続きます。
会議が盛り上がる為に、多少そういう場面も必要なのですが、
価値論争ばかりでは、会議の生産性は悪く何も決まりません。
部下からの報告も、事実と価値判断がごちゃごちゃになっています。
「大変です。大変です。どうしましょう」と
血相を変えて相談に来るメンバーがいますが、
何が起きているのか、事実がさっぱり分からないことがよくあります。
そんな時は、「とにかく起こった事をはっきりさせよう」と言って
ホワイトボードに、いつ何処で何が起きたのかを書き出して、
その事実を見せて「君はどうする」と問うと
「分かりました!こうします」と自分で解を出すことが殆どでした。
今の仕事を始めた修行時代に師匠から言われたことは
『事実と価値判断を分けよ』ということです。
自分にとっては目から鱗だったのですが、
そこから、人の話や会議を見る見方が変わりました。
そしてこれはコミュニケーションエンジニアリング
という仕事の大原則でもあります。
人はそれほど器用でなく、自分では制御が出来ないもの。
事実と価値判断を分け、事実の共有度を上げることで、
会議の生産性は上がり意思決定は進みます。
自分自身のことで言うと、
私も経験と年齢を重ね、自分の価値基準が出来上がっています。
その価値基準が先に、もしくは強く出過ぎてしまうことで、
事実を見誤ることや、他人と無意味な価値論争を起こさぬように、
頭の隅にいつも『事実と価値判断を分ける』という言葉を置いています。